Teresa Rogers(アメリカ)
私は最近、台所で多くの時間を過ごしています。自分の食事を作り、家でたくさんの高齢のペットたち(犬、片目の猫、気難しいオウム)の世話をしています。しかし聖霊は、日々の試練が私の心を閉ざしてしまう時に、人生に対して自分自身の心を開くための経験を与えてくれるのです。
私はときどき、心の奥底で働く固定観念があります:ああ、自分はみじめだ、とか、いやだ、もし○○だったらどうなるんだろう?と。自分に選択肢があることを忘れると、私はよけいな感情や思考が混ざった煮込み料理のままに行動してしまうのです。それはまるで、技術も意識もなく調理された料理のようで、あまり美味しくないのです。愛が私を突き抜け、本当の私、つまり私自身の態度の創造主であるソウル(魂)の自由と喜びに目覚めさせるまで、この煮込み料理のシチューをかみしめ続けるのです。私の愛犬トンカは、しばしば神聖な気づきをもたらす媒体になります。
私はすべての動物を愛していますが、トンカは特別です。ただ大きくて、おっちょこちょいで、優しい大型犬のシェパードです。彼は、老犬で、臭くて、毛がよく抜けます。私は彼を心から愛しています。腰痛があるので、満腹時に薬を飲まなければなりません。ペットたちの食事時間はこんなふうです: まずオウムのアップルに餌と水をやります。それは、アップルに先に餌をあげないと、彼女の叫び声が私に苦痛を与え、正しい順番に戻るように思い出させるからです。次に、猫の皿を満たし、犬に餌をやります。食後はトンカの薬の時間で、やっとこれで、終わりです。
薬を飲むルーティンはいつも苦労します。最初は、バターやソーセージ、チーズのような食べ物の中に薬を隠すなど、あらゆるトリックを試しました。しかしトンカは決して騙されなかったのです。頭を前後にくねらせ、舌を動かして、錠剤が飛び出して食べ物が飲み込まれるまでがんばるのです。結局、それ以上の方法を探る時間も創造力もなかった私は、トンカの顎を開いて錠剤を押し込むことにしました。喉を刺激しないか心配でしたが、それでもこの仕事は終わらせなければならなかったのです。
餌を食べ終わるとすぐに、トンカは家の中を縫うように逃げ回ります。私はトンカを追いかけ、薬を指に挟んで捕まえるのです。トンカが我慢してくれているのは、わかっているのですが、私はトンカの健康のためにしなければならないことをとても悲しく思います。とてもストレスがたまる作業なのです!
あるセッションは特に難しかったのです。何度も薬を飲ませようとして指が濡れてしまったのです。それでも、彼は愛があふれる澄んだ目で私を見ていました。私たちの神聖な愛と信頼の絆が広がっていくのを感じました。私の心は開きました。私は彼を抱きしめ、撫でました。そして、薬は飲みこまれたのです。
その後、数回餌をあげた後、私はトンカが自発的に薬を飲みに私のところに来る事に気づきました。そして、その時、トンカは本当は、ハグをしに来たのだと気づいたのです。今ではもう、食後にふらふらと脱走することはありません。愛情を求めて待っているのです。私が彼に薬を与えるとき、それは雑用ではなく愛の祭典であり、私たち二人にとって、ほとんど喜びなのです。
私にとっては、神聖な愛が日々の暮らしのレシピの秘密の隠し味なのです。蜂蜜が鍋を甘くし、のどを和らげるように、神聖な愛をひとさじ加えることで、人生というシチューの荒波を調和させ、バランスをとることができるのです。忘れてしまった時には、私の最も偉大な先生の一人であるトンカが思い出させてくれるのです。神は私を愛し、私は心を開いてこの愛を分かち合うのです。
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