Peter Skrivanic (日本)
10歳のとき、私は家族とカナダのトロント郊外オークビルにある動物愛護協会に初めてのペットを探しに行きました。
ケージを見て回っているうちに、私の足は一匹の猫の前で止まりました。そこにいたのはサム、6歳のグレーのオスのトラ猫で、黄緑色の目をしていました。体が大きく、少し太っていて、シェルターにいた他の猫たちよりも歳を取っていました。
サムは穏やかで落ち着いた猫に見えましたが、私たちと目が合うと、立ち上がってケージに歩み寄り、ドアに擦り寄ってきました。私が金網ごしに指を伸ばして彼の顎を撫でてみると、サムは「ニャー」と鳴いたのです。
サムの何かが私のハートに触れたのです。私は、この猫を家族に迎えようと、心を決めました。
両親と妹には違う思いがあったのですが、私がサムとすぐに打ち解けたのを見て、両親は納得してくれました。その日の午後、サムは私たちと、彼の新しい家となる我が家に向かいました。
すぐに、私たちはサムを選んでよかったと思いました。彼は生まれついての優しさと穏やかさで、深い愛情を注いでくれました。妹が、サムをまるで着せ替え人形のように人形の服を着せても、じっと耐えていましたが、そんな遊びを楽しんでいました。スーパーマンみたいに「S」と描かれたラベンダー色のマントを羽織って、家の中を闊歩していたのですから!
私はホッケーが大好きだったので、すぐにサムと二人でゲームを始めました。それは、アルミ・ホイルを丸めた小さなボール(ときにはキッチンからくすねてきたキャット・フードのかけら)を使ったゲーム。私がボールをリノリウムの床に転がすと、サムはボールを追いかけたり、飛びかかるのですが、その姿はゴールキーパーのようでした。
夜には、私のベッドの足元にやってきて寝ることもありました。彼と一緒に眠ったり、遊ぶのはこの上ない楽しみでした。私はサムを、子ども特有の無邪気さで、疑う余地もなく愛していました。
サムとの別れ
しかし、数年後、サムは重い病気にかかり、動物病院に連れて行くことになりました。私は彼が病院に行くことが何を意味するか分かっていたので、サムに付き添うことができませんでした。
サムが旅立つ前、私は自宅の地下の部屋で彼と2人きりになり、サムを撫でながら、涙を流して愛していると伝えました。両親と妹が車で動物病院に行っている間、私は家で一人、ずっと泣いていました。
私の家族は気持ちをオープンに表現する人たちではありませんでした。つらい気持ちを話し合う代わりに、一人ひとりがその悲しみを抱えこんでいたのです。
サムが亡くなった後、私の家には灰色の闇が広がりました。家族は皆、サムがいなくなってとても寂しかったのですが、誰もその悲しみを口にすることはなかったのです。
動物に関するスピリチュアルな教え
サムを失ってさらにつらくなったのは、子どもの頃に通っていた教会で、動物は霊的な存在ではないという教えがあったからです。私の人生から友人がいなくなっただけでなく、彼は存在し続けることはないのだと。私は二度と彼に会うことはなく、私たちの間の愛は終わってしまったということなのです。私はこの考えに抵抗を感じていましたが、最終的には自分の宗教が示すように生きるのは必要な事の一つとして受け入れました。しかし、この考えは私に深い悲しみをもたらしました。
それから数年後、私はエッカンカーの教えに出会い、夢の中でスピリチュアル・ヒーリング(霊的な癒し)の奇跡を体験するようになりました。時には、私のスピリチュアル・ティーチャー(霊的な師)であるスリ・ハロルド・クレンプという実在するインナー・マスター(内的な師)が、夢に現れました。
彼は、私が過去に背負った重荷を認識し、それが感情的なものであれ、態度や信念の形であれ、手放すのを助けてくれました。
サムを失ったことを意識的に悲しむことはなくなりましたが、内なるマスターは、私がまだ癒しを必要としていることを見抜いていました。しかるべき時が来ると、インナー・マスターは特別な夢を通して私に癒しを与えてくれました。
夢の内容
夢の中で私は、妻と共に白い砂利道を歩いていました。手入れの行き届いた広い芝生の上には、たくさんの木や小さな庭があり、美しい建物に向かっていました。その建物は、アメリカ南部のアンテベラム(前世紀)様式の大邸宅のようでしたが、その規模ははるかに大きく、神聖な雰囲気が漂っていました。
建物に入り、入口を抜けると、大きな部屋がありました。そこには見たこともない光景が広がっています。壁の奥には長い棚がいくつも並んでいますがそこには本ではなく、何百匹もの仔猫が休んでいました。仔猫たちは私たちに背を向けて、棚の後ろの半透明の壁を見ています。しばらくすると、仔猫の一匹が棚の上から離れ、壁を通り抜けていきます。近づいてみると、仔猫たちは薄暗い空間の中をシュートを使って滑り降り、下に行くほど暗くなっていくのがわかりました。
私はこのことを考えていましたが、ここがどこで、何が起こっているのか、一瞬にして理解しました。
私は仔猫に生まれ変わる準備をしている魂が、物理的な世界にジャンプする場所を見ていたのです。私はここが天国の第一階層、アストラル界ではないかと思いました。ここにいる仔猫たちは、新しい肉体が生まれる瞬間を待っていて、その時が来ると、仔猫たちは半透明の壁を通り抜けて、より密度の濃い見通しにくい現実である「物質界」へと降りていきました。そして、それぞれが母親の胎内から新しい肉体に入っていくのです。
夢は続いていて、妻は何匹かの仔猫を抱き、あやしていました。私は感動していました。この仔猫たちは魂であり、それぞれが何度も人生の霊的な旅をしているのだと理解しました。
肉体が死を迎えると、彼らの永遠で神聖な部分、つまり彼らの真の本質である魂は、次の段階に進む時が来るまで、休息と熟考のためにこの天国に戻ってくるのです。そして、この場所に来て、新しい体に対応したアストラルの姿になり、新しい人生に飛び込んでいくのです。
ここの美しさと神聖さは、このプロセス全体が大きな愛情と配慮で行われることを示しています。かれらの魂は、神に深く愛されていました。彼らの旅は霊(ソウル)として、とても大切なものでした。
こんな思いを抱いていたとき、閃きがありました。幼い頃に飼っていたペットのサムが、この建物のどこかで次の生まれ変わりを待っていることに、突然気づいたのでした。
サム
夢の内容が変わりました。妻は仔猫と一緒にこの部屋に残り、私は興奮を隠しきれずにサムの名前を呼びながら建物の中を探し始めました。階段が見えたので登っていくと、そこには金色の光の球体である「魂」の姿がありました。目の前には、わずかに緑色を帯びた光の球体がありました。魂としての意識の高さから、これはサムであり、彼の本当の姿である魂なのだとわかりました。
サムと私は、言葉を交わさずに心と心を通わせました。光の波が私たちの間を通り、お互いへの愛と再会の喜びを純粋に表現していました。
私とサムは、物質的な世界にいた時の制限から解き放たれました。サムは猫、私は少年でしたが、ここでは、そうした限界を超えて、互いに神聖な愛を注ぎ合っていることが分かりました。それは神が全ての魂(ソウル)に与える愛なのです。
私たちはこの点で同じでした。魂として、私たちは死を超えて続く神聖な愛を共有していたのです。それは永遠に分かち合う愛なのです。
プラジャパティの招待状
その後も、私は夢の中にいました。再び肉体に戻り、階段を降りていくと、一人の男性が私を待っていました。その人は、動物の世話をしているエック・マスターのプラジャパティでした。
私は、サムとの再会という贈り物をくれたプラジャパティに、この夢の体験を心から感謝しました。するとプラジャパティは微笑みながら、「私はもう帰る時間だが、あなたが来たければ、ここに戻ってきてもいいよ」と言ってくれました。
そうして目を覚ました私は、長年の悲しみが癒されたことに気づきました。また、神さまのソウル(魂)に対する愛の深さと広さについても、新たな気づきがありました。
神は人間と同じように動物を愛していることがわかりました。動物もまた、多くの人生を生きて(転生を繰り返し)、スピリチュアルな旅をしているのです。そして最も大切なことは、私たちが共有する愛は決して無くならないということです。
コンテンプレーション(スピリチュアルな観想)の種
この物語に込められたスピリチュアルなメッセージを、Sri Harold Klemp著『ECK Wisdom on Life after Death』の一節に思いを馳せてみませんか?
肉体が死ぬと、人はアストラル界に住み着きます。それは地球とほとんど同じですが、外見は若返っているかもしれません。しかし、輪廻転生の循環を経て地上に戻ってくると、人格そのものは消滅してしまいます。
亡くなった恋人やペットが夢に出てくるのは、このためです。
あなたは、愛するペットが亡くなったあと、彼らが夢に出てきたことはありますか?
英語版: Animals Are Soul - A Dream Healing with Sam
ペット・ロスで悲しかった心が少し、癒されました!
返信削除動物も、
返信削除美しい魂だと思います。そして彼らは私たちに沢山のことを教えてくれます。愛、愛、愛…。
昔、飼っていた犬を思い出します。来世で、また会って抱きしめたいです!
返信削除突然天国に旅立った愛犬が生まれ変わってまた会えるかもしれないと少し希望が持てました。素晴らしい夢のお話ありがとうございます!
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