2023年9月14日木曜日
2023年8月30日水曜日
愛は秘密の隠し味
Teresa Rogers(アメリカ)
私は最近、台所で多くの時間を過ごしています。自分の食事を作り、家でたくさんの高齢のペットたち(犬、片目の猫、気難しいオウム)の世話をしています。しかし聖霊は、日々の試練が私の心を閉ざしてしまう時に、人生に対して自分自身の心を開くための経験を与えてくれるのです。
私はときどき、心の奥底で働く固定観念があります:ああ、自分はみじめだ、とか、いやだ、もし○○だったらどうなるんだろう?と。自分に選択肢があることを忘れると、私はよけいな感情や思考が混ざった煮込み料理のままに行動してしまうのです。それはまるで、技術も意識もなく調理された料理のようで、あまり美味しくないのです。愛が私を突き抜け、本当の私、つまり私自身の態度の創造主であるソウル(魂)の自由と喜びに目覚めさせるまで、この煮込み料理のシチューをかみしめ続けるのです。私の愛犬トンカは、しばしば神聖な気づきをもたらす媒体になります。
私はすべての動物を愛していますが、トンカは特別です。ただ大きくて、おっちょこちょいで、優しい大型犬のシェパードです。彼は、老犬で、臭くて、毛がよく抜けます。私は彼を心から愛しています。腰痛があるので、満腹時に薬を飲まなければなりません。ペットたちの食事時間はこんなふうです: まずオウムのアップルに餌と水をやります。それは、アップルに先に餌をあげないと、彼女の叫び声が私に苦痛を与え、正しい順番に戻るように思い出させるからです。次に、猫の皿を満たし、犬に餌をやります。食後はトンカの薬の時間で、やっとこれで、終わりです。
薬を飲むルーティンはいつも苦労します。最初は、バターやソーセージ、チーズのような食べ物の中に薬を隠すなど、あらゆるトリックを試しました。しかしトンカは決して騙されなかったのです。頭を前後にくねらせ、舌を動かして、錠剤が飛び出して食べ物が飲み込まれるまでがんばるのです。結局、それ以上の方法を探る時間も創造力もなかった私は、トンカの顎を開いて錠剤を押し込むことにしました。喉を刺激しないか心配でしたが、それでもこの仕事は終わらせなければならなかったのです。
餌を食べ終わるとすぐに、トンカは家の中を縫うように逃げ回ります。私はトンカを追いかけ、薬を指に挟んで捕まえるのです。トンカが我慢してくれているのは、わかっているのですが、私はトンカの健康のためにしなければならないことをとても悲しく思います。とてもストレスがたまる作業なのです!
あるセッションは特に難しかったのです。何度も薬を飲ませようとして指が濡れてしまったのです。それでも、彼は愛があふれる澄んだ目で私を見ていました。私たちの神聖な愛と信頼の絆が広がっていくのを感じました。私の心は開きました。私は彼を抱きしめ、撫でました。そして、薬は飲みこまれたのです。
その後、数回餌をあげた後、私はトンカが自発的に薬を飲みに私のところに来る事に気づきました。そして、その時、トンカは本当は、ハグをしに来たのだと気づいたのです。今ではもう、食後にふらふらと脱走することはありません。愛情を求めて待っているのです。私が彼に薬を与えるとき、それは雑用ではなく愛の祭典であり、私たち二人にとって、ほとんど喜びなのです。
私にとっては、神聖な愛が日々の暮らしのレシピの秘密の隠し味なのです。蜂蜜が鍋を甘くし、のどを和らげるように、神聖な愛をひとさじ加えることで、人生というシチューの荒波を調和させ、バランスをとることができるのです。忘れてしまった時には、私の最も偉大な先生の一人であるトンカが思い出させてくれるのです。神は私を愛し、私は心を開いてこの愛を分かち合うのです。
2023年7月29日土曜日
ユキフクロウとの冒険
Crystal Doyle(アメリカ)
地元の猛禽類専門家で友人のデビッドは、ニューヨーク州ロチェスター近郊で25年間、猛禽類の捕獲、バンドリング(識別するためにバンドを付ける事)、放鳥を行ってきました。彼は特に、鮮やかな黄色の目を持ち、剛毛の羽毛に覆われたくちばしを持つ、驚くほど美しい白いフクロウであるユキフクロウの追跡調査や研究を支援することに関心を持っています。
ユキフクロウは北米に生息するフクロウの中で最も重く、大きいフクロウのひとつです。北極圏を繁殖地としていますが、若いユキフクロウはカナダやアメリカ北部へと南下します。北極圏の気候の変化により、その数は減少していると考えられています。
ある極寒の冬の日、デビッドはロチェスターの南30マイルにいる何羽かのユキフクロウの状態を確認するため、私を誘いました。ユキフクロウは、餌となる小さな哺乳類や鳥類を見つけやすい、農耕地のような広い場所を好みます。電柱の上に止まっていることもありますが、白い雪の塊やトウモロコシの株の横にじっと座っている姿を見つけるのは難しいのです。
冒険の旅へ
気温は華氏12度、摂氏マイナス11度と氷点下でした。分厚いブーツと手袋の中まで寒さが染み込んできましたが、南へ車を走らせると太陽は明るく照りつけます。約25分後、デビッドはフクロウを見つけました。
デビッドは白いトラックを近くの農家の車道に止め、ドアをノックしました。子供たちを後ろに引き連れた中年の女性がドアを開けました。デビッドはこれからユキフクロウに何をするのかを説明し、そして許可証を持っていることを話しました。
私たちが話している間、農場の大きな納屋の上部の窓から鳩が舞い降りてきました。「そうそう、あのフクロウはよく見かけるよ。フクロウは好きなだけハトを獲ったらいいさ!」と一人の男の子が言いました。そして、皆は、その男の子の言葉に対して、笑いました。
私たちが農家を出た後、デビッドは人道的なフクロウ・トラップ(フクロウの罠)を仕掛けました。それは、鳥を傷つけたり、ストレスを加えることなく、フクロウを捕獲するように作られた装置です。彼は私にこう指示しました: 「質問しない、邪魔しない」と。私は静かに体を小さくしていなければならないと思いました。
猛禽類の捕獲に同行するのは初めてのことで、私はわくわくしていました。私は以前から猛禽類、特にフクロウに強い興味を持っており、将来は(7年間の訓練期間を経て)研究のために猛禽類の捕獲と放鳥を手伝いたいと思っていました。
今日の経験は、私の人生の極めつけの体験のひとつとなるでしょう。
3羽のユキフクロウ
その日最初のユキフクロウは、5分もしないうちに罠のすぐそばまで飛んできました。デビッドは彼に 「イージー 」というニック・ネームをつけました。
デビッドがフクロウ1羽1羽にするように、私たちもイージーの体重を測定しました。フクロウは通常、メスのほうがやや大きく、オスのほうが白いのです。この日捕まえた3羽はすべてオスで、驚くほど白く、きれいな姿をしていました。
私はデビッドがイージーの重さを量るのを静かに手伝い、それからDNA検査と水銀やその他の汚染物質のチェックのためにラボ(研究所)に送る羽毛を2、3枚取り除きました。研究者がデータを比較できるように、私たちはフクロウの翼と尾を計測し、写真を撮りました。私たちは片足にバンドをつけ、そのバンドの番号を日誌に記録しました。
その後、デビッドから驚くべき申し出がありました。私たちが最初に捕獲したフクロウを、私が抱えて、放してみないか、というのです!
私は指示されたとおり、慎重にフクロウの脚に手を回しました。大きな爪が出ていましたが、フクロウは落ち着いていました。こうして抱えられると、フクロウはおとなしくなるのです。フクロウが逃げようとせず、私をつつかなかったのには驚きました。完全に静止し、威厳と静謐な美しさを醸し出していました。
私は毛むくじゃらの大きな足をしっかりと、しかし優しく掴みながら、HU(ヒュー)を優しく唱え、イージーを安心させるように話しかけました。「傷つけないよ」と私は言いました。私はイージーを放すと、イージーは真っ青な空へと羽ばたいていきました。
午後遅くなって、私たちは2羽目のフクロウを捕まえ、バンドをつけると、私はそれも放しました。少し勇気が湧いてきた私は、ウサギの毛皮のように柔らかな、フクロウの白く輝く胸毛を少し撫でてみました。私は2羽目のフクロウに言いました。あなたはソウル(魂)。あなたは神の子。あなたは永遠です。ソウル(魂)が存在するのは、神がソウル(魂)を愛しているから。デビッドは、フクロウたちが私と一緒にいるととても穏やかになると言いました。
フーディーニを待つ
その日最後の場所へ車を走らせると、太陽が丘に沈んでいきました。デビッドはフーディーニというニック・ネームをつけた、特定のフクロウを探していました。デビッドは過去に2度このフクロウの捕獲を試みたのですが、2度ともフーディーニはバンドを付けられることなく逃げてしまったのです。デビッドが 「あそこにいる!」とささやいた時、あたりはすっかり暗くなっていました。
彼は畑と森が両脇にあり、遠くに農場が見える場所に車を停めました。そして車を降り、罠を仕掛けました。私たちはトラックに座り、双眼鏡で目を凝らしました。デビッドがエンジンを切ると、気温はさらに下がりました。
私は、この生き物がいかに不毛で人を寄せ付けない土地に住んでいるかを考えました。夜の白い幻のようなユキフクロウは、北極圏の厳しい環境に完璧に馴染んでいます。私は自然の生息地が変化していくことを急に悲しく思いましたが、ユキフクロウが適応して生き残ることに希望を託しました。
私たちはフーディーニが現れるのを1時間待ちました。そしてついに、ちょっとユーモラスなことに、彼は優雅にトラップまで飛ぶのではなく、飛び跳ねてきました。私たちは彼を捕まえました!彼は私たちに捕まったことにかなり苛立っており、大きな音を立ててくちばしを何度も鳴らしました。
私たちはすべての計測とバンディングを終えました。フーディーニを空に返す時、デビッドは私に彼を解放させてくれました。
フーディーニは私が抱くと落ち着きました。他のフクロウたちと同じように、私はHU(ヒュー)を唱え、彼にささやきました。そして私は「行く準備はできた?」と尋ねました。私は心と思考を開き、彼の答えに耳を傾けました。彼は私の方を向き、口笛を一吹きしました。
他のすべてが消え去り、この信じられないような生き物と私だけが存在しているように思えました。私がフーディーニをソウル(魂)として見ただけでなく、彼も私をソウル(魂)として見たのです。この内なるコミュニケーションに感動し、私の顔を涙が流れ落ちました。
数秒後、私はフーディーニを両手で持ち上げ、鳥を空中に押し上げました。彼は白い翼を70センチに広げ、静かに夜の中に飛び去って行きました。
スピリチュアルな自由
その後、ユキフクロウたちとの一日を振り返りながら、私はエッカンカーでの私のスピリチュアル・ガイドであるマハンタが、フクロウたちを解放する前に私がフクロウたちに伝えていた真実を、静かに私に囁いてくれていることに気づきました。:あなたはソウル(魂)であり、永遠の存在です。あなたはスピリチュアルな自由を有しています。
私自身の自由への羽ばたきを体験するには、エッカンカーで学んだスピリチュアル・エクササイズを実践し、毎日HU(ヒュー)を歌うとき、ただ耳を傾けることを忘れないようにするだけでいいのです。それは、より大きな幸福、より広い視野、そして光と音の無限の存在としての自分自身をより深く認識する自由なのです。
ユキフクロウを鳥としてだけでなく、知性的な意識を持つスピリチュアルな存在として見ることができたことに感謝しています。私はおそらく彼らに、異種間コミュニケーション、ソウル(魂)の永遠の本質への気づき、そして愛を体験させることができたのかもしれません。私の心は、雪のような翼の柔らかな感触をいつまでも忘れないでしょう。
2023年6月24日土曜日
そり犬とともに過去世を解放する
M. Jane Hocking(アメリカ)
私たちがまだ若く、アラスカに住んでいたとき、夫と私はそり犬を飼っていました。夫はレースにも出場していましたが、私はチームの運営を楽しむことはできませんでした。美しい景色と犬の仲間がいれば、マッシングという犬ぞりレースは喜びを与えてくれるはずなのに、心の底には、恐れの気持ちのようなものがつかえていました。しかし、私は子犬を育て、先導犬を訓練し、古い道を見つけて整備することが好きだったので、そりに関わる仕事に集中していました。
私の先導犬のディジーは、私たちが育てた最後の子犬の1頭として生まれました。生まれたときから、私たちは特別な絆で結ばれていました。そのディジーが、まだ若いのに、突然走らなくなったのです。普通のそり犬は、ハーネスやそりを見ると大喜びするのですが、ディジーはハウスの上で銅像のように座り、私から顔をそむけました。物理的な理由は見つからず、ただ引退を宣言したのです。私もチームを走らせることが少なくなり、そして私も引退しました。
ある日、私はコンテンプレーション(スピリチュアルな観想)を行っている時に、自分が高い丘の上を歩いているのを見ました。頂上についた時に古い恐怖感を覚え、その理由を自問自答しました。
すると一瞬にして、丘の上の景色から、100年から200年前の晩冬の日差しが降り注ぐ白樺の森に場面が移りました。その当時の私は、カナダやアメリカ北部に住む先住民やメティス(先住民族とヨーロッパ人の血を引く人)でした。私は、冬に獲った毛皮を売るために、犬チームを率いて交易所に向かっていました。コンテンプレーション(スピリチュアルな観想)の中で内なる声が、私は犬と毛皮のために殺されるのだと告げました。その声は、私の遺体が埋葬されるオンタリオ州の農場の名前も教えてくれたのです。そり犬チームを走らせるのが怖いと思う気持ちは、これで納得がいきました!今生で犬ぞりを走らせるたびに、私は無意識のうちに、過去世での死へのアプローチを再び体験していたのです。
私は、過去世から引き続き持っていた荷物を手放す事に決め、そりに恐怖心を積んで、最後の一走りを行う為に私の昔からいる犬たちをつなぎました。私たちは、短い周回コースを走り、折り返し地点で前世の記憶を捨てるのです。
私はハーネスを集め、犬たちのところへ運びました。驚いたことに、ディジーは他の犬たちと一緒に飛び跳ね、喜びの声を上げていました。私は本能的に、あの時ディジーが私を守ろうとして死んでいったことを知りました。明らかに彼女も、過去を手放す必要があったのです。
あの日と同じように、この日も晩冬の日差しが明るい日でした。ディジーと私は、その象徴的な走りの中で、あの過去世の残滓を捨て、軽やかな心で「今」の自由へと戻ってきました。
スピリチュアルな観想の種
ハロルド・クレンプ著「Past
Lives, Dreams, and Soul Travel(過去世、夢、魂の旅)」の一節を読んで、この物語に込められたスピリチュアルなメッセージについて考えてみてください:
過去世に関する学びのヒント
過去世の夢を呼び覚ますには、人や物の好き嫌いのリストを作ってみて下さい。また、ある国や地域、歴史上の時代などに特別な魅力を感じている場合もメモしてください。そのような興味には理由があるのです。
そして、夢に意識を向けましょう。
英語版: Releasing the Past with My Sled Dog
2023年5月27日土曜日
自分らしくあるために
Benny Callaghan(アメリカ)
私が子供の頃、我が家にはネルソンという犬がいました。スタンダードな長毛のダックスフンドで、真っ黒な毛並みにゴールデン・キャラメルの下腹部が特徴でした。美しく、愛されていました。
私たちが親しみを込めて「ネロ」と呼んでいたネルソンは、かつてショー・ドッグとして活躍していましたが、鼻に気づかないほどのコブができたため、そのキャリアを断たれました。その結果、私たち家族の友人であり、先生であるという新たな使命が生まれました。
私は昔からダックスフンドが大好きでした。ダックスフンドの体は、家庭で生活する犬としては最も特殊で、実用的ではありません。しかし、彼らは私たち人間が見ている不器用さや限界に気づかず、うまく立ち回っているようです。
ネルソンはかなりのスピードで走り、人の膝の上に飛び乗ることができましたが、私はいつも彼が長い玄関の階段を駆け上がったり降りたりする様子をとてもユーモラスに感じていました。小さな足と長い体を横にしてカニ歩きするように跳ねたり、階段全体を正面から飛び越えて早く下に着こうとしたりしました。
私は、ある魂がダックスフンドに生まれ変わることを選択する瞬間について、考えてみました。来世の体を見て、「これは面白い」と思うのでしょうか?それとも、もっと必要に応じた受諾なのでしょうか?「この人間に彼自身を知る為に教えるのに、必要なことならOKだよ」と。
ネルソンと私
子供の頃の私は、ダックスフンドと大差ない体型でした。背は高くなく(長くもなく)、痩せていて、ネルソンとは違って、自分の体が不恰好だと感じていました。スポーツも全くできず、同級生の体力についていけませんでした。学校では、他の男子生徒からさまざまな難題を突きつけられてもいました。そのため、私は自分の体を限界という視点から見ていたのです。
しかし、ネルソンとのある出来事が、私に強烈な教訓を与えてくれました。
私たち兄弟は、郊外にある近所の数ブロックにまたがって新聞配達をしていました。ある家には、3頭の大型で怖い犬がいました。2頭のジャーマン・シェパードと、1頭の恐れを知らないピッグ・ドッグ(野生の豚を狩るために飼育された犬)で、強いロットワイラーと非常に大きな他の犬種との雑種です。兄と私は交代で新聞配達をしていたので、あの家の犬たちとは二週間に一度しか顔を合わせないことになっていました。
新聞社は、新聞をフェンス越しに庭に投げ込まず、家のポストに直接配達することにこだわっていました。その恐ろしい家では、郵便受けは犬の柵に固定されていました。犬たちが柵にのしかかって吠えたりヨダレを垂らしたりしている間、私は恐る恐る小さな腕を前に伸ばして新聞を郵便受けに押し込むのです。
もちろん、犬たちは決して凶暴ではなかったのでしょう。私の恐怖心が、犬が「この子を食べてやる」と思っているイメージを作り上げていたのです。
クリスマスを控えたある日、私がこの家に新聞を配達することになりました。フェンスに近づくと、門が開けっ放しになっているのを発見しました。気がつくと、私は3頭の犬を尻目に全力疾走で家に向かって走っていました。
もうダメかと思ったその時、庭からネルソン(身長20センチほど)が出てきたのです。ネルソンは、あの犬たちに「この子に手を出すなら、まず、俺が相手だ」と言う気満々でした。犬たちは私に食らいついてきました。しかし、私が気づく前に、犬たちは気まずそうにネルソンに追いかけられ、鳴きながら家に帰っていきました。
そして、ネルソンは何事もなかったかのように、私のそばを堂々と歩いて帰ってきました。
ネルソンの例
ネルソンがまるで兄弟のように私を守ってくれたということだけでなく、その出来事には何か心に残るものがありました。それは、ネルソンが自分の限界に気づいていないということでした。彼は、一番小さい犬の3分の1の大きさにもかかわらず、他の3頭の犬よりも大きくて強いかのように振る舞ったのです。ネルソンには恐怖心がなく、ただ勇気がありました。
追いかけられることは、私にとって初めてではありませんでした。そして、ネルソンは私が困難な状況に陥った時に私を元気づける為に吠えたのではありません。あの日、ネルソンは大きな犬たちと一緒に、自分らしくある、という事を教えてくれたのです。肉体の限界は、魂が内なる力を発揮するためのチャンスに過ぎないということを教えてくれたのです。
30年経った今でも、幼い頃のペットが私に教え、私に何ができるかを思い出させてくれるなんて、信じられないことです。動物の愛に限界はありません。私たち人間にも同じことが言えるのかもしれません。
英語版: Being Comfortable in Your Own Fur (Or Skin)
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